「あなたのために祈るイエス」 05.01.30
ルカ22:31〜34
イエスさまは、ペトロに向かって、サタンに振り回されて自分の
信仰が問われるような目に会うと言われました。
それを聞いたペトロは、「主よ、ご一緒なら、牢に入って死んでも
よいと覚悟しております」と言います。
ペトロは、大変強い決意を生み出す信仰を、しっかりと持っていました。
しかし、イエスさまはそんなペトロにある弱さを見抜いておられます。
今夜中に(もうすぐ)三度イエスさまの事を知らないと言うだろうと、
予告をされました。実際に54節〜に描かれているように、ペトロは
イエスさまの事を知らないといったのです。
しかもそれは、捕らえられ、牢に入れられ、鞭打たれるなどの暴力を
受けて、力任せに言わされたのではありません。一人の女性の言葉に
対して、知らないと言ったのでした。ペトロは、ふるいにかけられた時に、
自分に何も残らなかったことに、がくぜんとしたでしょう。
自分の信仰は、振り回されると、あっという間に消え去る信仰でしか
なかった…。大きなショックを受け、ペトロは激しく泣いたのです。
イエスさまは、信仰がなくならないように祈っておられました。
しかし、ペトロはイエスさまを知らないと言ってしまったのです。
それは、イエスさまの祈りが聞かれなかったということでしょうか…?
そうではありません。
この時、イエスさまが祈られた信仰は、立ち向かう信仰ではありません。
何があっても揺れ動かず、何でも跳ね返し、決して倒れない信仰では
ありません。「立ち直る信仰」です。この直前に、イエスさまは、十字架の
死を指し示すパンと杯をとって祈られました。
それは、赦しを伴う祈りです。罪、情けなさを取り除く祈りです。
ペトロは、そのイエスさまの祈りに包まれており、赦されている
自分を知りました。そして、立ち直ることができました。
イエスさまの祈りに身を委ね、赦しに生かされる信仰を保ちました。
「立ち直ったら力づけてやりなさい」とおっしゃいます。
その後、ペトロは失敗しない自分の強さではなく、イエスさまゆえに
やり直せることを語ったのです。